行事報告

わくわく探検
第2弾
駅前シリーズ
花園駅〜
ラグビー場


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2002/10/27

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大阪府建築士会50周年記念
わくわく探検第2弾(駅前シリーズ)
「花園駅からラグビー場へ」
2002/10/27

 
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芭蕉供養塚〜松原宿〜道標

芭蕉の門人が建てた供養塚が吉田墓地の中にありました。
暗越奈良街道を良く通っていた芭蕉と河内の結びつきが良く分かります。
(写真無し)
そして、いよいよ松原宿へ!

大阪と奈良との間に唯一置かれたのが松原宿です。
大阪、奈良間は8里8町の距離で、江戸時代の明暦年間(1655-58)に、
大阪町奉行所から正式に命じられました。

江戸時代の宿場は、単に旅籠だけでなく、旅客あるいは貨物の運送とい
う重要な業務のため、交通機関の馬や運送役の人足等を常備し、幕府役
人の管轄の下、地元の村々の負担により運営されていたそうです。
松原宿の曲がり角にある道標です。
「左大坂道」というのが写真で見えます。
(昔は阪ではなく坂なんですね。)
左には「右なら道いせ道」と刻まれています。
嘉永元年(1848年)大阪うつぼの正野屋長兵衛によって建てられたそうです。