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守口宿 (もりぐちしゅく)
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京街道におかれた宿のひとつで、現在の守口市浜町、来迎町の一帯が守口宿だったといわれています。守口はもとは森口と書かれた農村集落でしたが、元和年間(1615〜24)に宿駅として発展、元禄七(1694)年に守口村から守口町となり、天保十(1843)年には、人口764人、戸数177軒、うち26軒が旅篭屋、47軒が商工を営んでいたと伝えられます。